本書は新鮮な視点を提供してくれた。
まず冒頭、「太平洋戦争」とはチリがボリビアとペルーと戦った戦争であり、日米が戦った戦争は「War in the Pacific」であるとしている(太平洋戦争は「Pacific War」)。
では先の戦争をなんと呼ぶのか。「大東亜戦争」である。
「大東亜戦争」と呼ぶと
「大東亜共栄圏の為の聖戦だ!」
「日本は白人支配に立ち向かった聖戦だ!」
という右側の人が頭に浮かぶが、筆者はドライ(?)に
「自分たちの政府が決めた呼称だから」
で済ませている。
次に、本書ではアメリカをマイナー国家とし、日本と英国の関係(日英同盟)が崩れた事が日英双方に取って悲劇であったとしている。
GHQに占領されたからなのか、原爆を落とされたからなのか、沖縄・硫黄島・ペリリューなどで凄惨な戦いを繰り広げたからなのか、「日本対アメリカ」の戦争であったと思っていたため、非常に新鮮な視点であった。
WW1〜2の世界情勢を地図の上で確認すると、確かにアメリカの存在感は当時のアジアにおいては低い。逆にイギリスの存在感は高い。ではなぜイギリスとの関係が崩れたのか?なぜアメリカと国家が破滅するまで戦ってしまったのか?
答えは…。
本書の「おわりに」にある一分、これが一番心に響いた。世界情勢を見誤り、また同じ過ちを繰り返さない為にも歴史を、特に近現代史を学ばなければ、と思い知らされた。
大東亜戦争は聖戦だった、だから後知恵で批判するべきではないとする者に問う。
なぜ多くの兵士が国を守るために命を捨てて戦ったことによって、その人たちがそこまでしなければならぬ状況に追い込んだ者の責任が免罪されるのか。(p253)
当時の政治家、役所、メディア、大衆について見直すべきではないか。軍部の暴走が…という一言で済ませて本当に良いのだろうか?