元ITインフラ系エンジニアの日記

元ITインフラ系エンジニアがITのことや投資のこと、コンサルのこと等を綴ります。

小さな誇り

1

窓の無い部屋で下人はパソコンに映るteratermの画面を凝視していた。指先は慌ただしく動き、学生時代に鍛えたブラインドタッチで様々なコマンドを入力している。黒いウインドウに白い英文字が流れて行く。

sudo su -

cd /var/log
more maillog | grep YYY
XXX from XXX 5732XXX4189 subject XXXX … …

年度始めのある日、社内には張りつめた雰囲気が流れていた。下人のいる部屋は換気扇の音と隣とキーボードを打つ音が響いていた。
社内、といったが下人の居る部屋以外では年度末の繁忙期を乗り切った社員たちが今年の新人に関するうわさ話に花を咲かせていた。張りつめた雰囲気が流れていたのは、下人のいる窓の無い部屋だけだったかもしれない。

2

IT革命から20数年、もはやIT抜きに仕事など、いや生活など考えられない時代になった。
下人は小学生の頃からパソコンが当たり前にあった世代である。しかし当初からこの仕事に就きたいとは思っていたわけではない。働ければ職種は何でも良いと考えていた。就職活動を始める前年、リーマンショックが起き第二の就職氷河期とも言われた。サークル先輩たちが中々就職先が決まらずに苦労していた姿を目の当たりにしていた。自分たちの番になると、底を打っていた。

当時の下人は、今後食って行くのに困らない業界はITだろうと漠然と思っていた。たまたま受けた会社が最初に内定を出した。そして入社した。ただそれだけだった。入社してから仕事は楽しかった。学生時代に学んだ事はほとんど役に立たなかったが、会社で勉強した事をそのまま仕事に活かす事ができたからだ。営業に配属された大学時代の同期から何億円の契約を取っただのと話を聞いた時、売上に直結しない自分の仕事はどんな意味があるのだろうと考えた事もあった。
いつしか下人はこの仕事を誇りに思うようになった。営業と違って会社の売上に直接貢献できないが、まぎれも無くこの会社の事業をそして世の中を支えている仕事をしているのだと思うようになっていた。

就職活動の頃から今まで将来のキャリア、夢を考えた事はあったが明確な答えは出てこなかった。億単位のプロジェクトを動かす立場になりたいのか、それとも現場に残り続けたいのか、それとも別の道を歩みたいのか、下人にはそれがわからなかった。畢竟、如何に生きるべきかという問いに対する明確な答えを持つ人間などいないのだ、と思う事にして下人はあまり深く考えないようになった。疑問はいつしか忘れ去られた。

3

下人は画面に表示されるログを見て思った。
(件数が多すぎる。社内の誰かが名簿を売ったのか?)
件数と時刻、送信元メールアドレスをまとめ、上司へ報告した。ウイルス対策ソフトの開発元へ検体を提供し、定義ファイルの更新を依頼した。次にFirewallとProxy Serverのログを確認した。相変わらず不正なサイトへのアクセス要求が大量に表示された。幸い社内のセキュリティ教育が効果を上げていたため、感染したパソコン・サーバはまだない。
相手は秒単位で新しいウイルスを作り攻撃して来る。定義ファイルが間に合わない事も多々有る。緊急事態宣言は一向に解除される見通しが立たない。戦争では、防御側が圧倒的に有利とされる。しかしサイバー戦争では攻撃側があらゆる面で圧倒的に有利だ。

下人は眼鏡を外し、鼻の付け根を親指と人差し指でギュッと押した。壁にかけられたアナログ時計に目をやると昼休憩の時間であった。下人は席を立ち、トイレの窓から外を見た。会社の近くにある公園は木々が青々と茂り、白い桜の花が揺れているのが見えた。空は少し雲がかかっているが晴れていて、風が少し吹いているようだった。

用を足した後、弁当を買いに外へ出た。やわらかい風が桜の花を撫でていた。なじみの弁当屋へ行く途中、新入社員らしき集団を二、三見た。彼らは相変わらず眩しい。キラキラ女子などという言葉が少し前から流行っているが、新入社員と言う生き物は、あれとは全く次元の異なるレベルで輝いている。
そこには美人も不細工もイケメンも醜男も関係ない。ただ希望に満ちているというだけで、ただ新人というラベルがあるだけで2割増、3割増に輝いて見えるのだ。すくなくとも、下人の曇った眼鏡にはそう映った。

将来の夢は何ですか?5年後にどういう仕事をしていたいですか?

彼らを見て、かつての疑問が頭をよぎった。
(彼らは夢をもっているのだろうか?俺は果たして夢を持てるのだろうか?)
下人はコンビニ弁当を買って窓の無い部屋へ戻りながら考えた。席に戻るとteratermの画面にメッセージが表示されていた。

Time Out !!