元ITインフラ系エンジニアの日記

元ITインフラ系エンジニアがITのことや投資のこと、コンサルのこと等を綴ります。

もう一歩、健常者の側から歩み寄る努力が必要ということか。

バニラ・エアの問題(車いすの人がタラップを這い上がろうとした)が色々と議論を読んでいる。ネット上で色々と記事を読んでいると、日本には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/law_h25-65.html

という法律があることを知った。

この法律の目的はこのように書かれている。

 

(目的)

第一条 この法律は、障害者基本法(昭和四十五年法律第八十四号)の基本的な理念にのっとり、全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを踏まえ、障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本的な事項、行政機関等及び事業者における障害を理由とする差別を解消するための措置等を定めることにより、障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。 

 

航空会社としては、「事前に連絡して欲しい」と公開しており、連絡があれば対応するということで、障害者でも航空機を使えるように配慮していた。が、今回は事前連絡がなかったという。

 

「相互に人格と個性を尊重し合」うということは、一方の都合を押し通すことではない。今回の場合、航空会社の側は一歩、歩み寄っていたように思う。その歩み寄りが足りないというのか。

車椅子の人も、もう一歩、歩み寄れば良かったのではないか。「他の航空会社では事前連絡が不要だった」と言っていたが、だから?という感想しか無い。しかも、タチの悪いことに、事前連絡の必要は知っていたという。

 

テクノロジーが発達すれば、きっと車椅子のまま座席まで行けるようになるんだろうけど、まだそこの域には達していない。となると、人手に頼るしか無い。わざわざ事前連絡が欲しいと言っているということは、人を準備する必要があるからではないか。

そこまで察するのは難しいのだろうか。そこまで察してもらうことを要求するのは、差別なのだろうか。

 

障害者がこれまで苦労してきたこ歴史はあるのだろう。電車に乗る時、タクシーに乗る時、バスに乗る時などなど、様々な場で我慢をしてきたのだろう。

しかし、健常者はどこまで障害者に歩み寄らなければならないのだろうか。際限無く健常者からのみ、歩み寄ることが「相互に尊重する社会」の実現につながるのだろうか。

 

今回の問題は

車椅子の人「事前連絡をしていなくてすみませんでした。これからは事前連絡します。でも、事前連絡が無くても対応できる体制が整っていると、とても助かります。ぜひ検討して下さい。」

 

航空会社の人「こちらも臨機応変に対応できる体制が整っておらず、すみませんでした。改善策を講じます。」

で良いんじゃないかと思う。実際、航空会社の側は対応する予定があったみたいだし…