バニラ・エアの問題(車いすの人がタラップを這い上がろうとした)が色々と議論を読んでいる。ネット上で色々と記事を読んでいると、日本には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/law_h25-65.html )
という法律があることを知った。
この法律の目的はこのように書かれている。
(目的)
航空会社としては、「事前に連絡して欲しい」と公開しており、連絡があれば対応するということで、障害者でも航空機を使えるように配慮していた。が、今回は事前連絡がなかったという。
「相互に人格と個性を尊重し合」うということは、一方の都合を押し通すことではない。今回の場合、航空会社の側は一歩、歩み寄っていたように思う。その歩み寄りが足りないというのか。
車椅子の人も、もう一歩、歩み寄れば良かったのではないか。「他の航空会社では事前連絡が不要だった」と言っていたが、だから?という感想しか無い。しかも、タチの悪いことに、事前連絡の必要は知っていたという。
テクノロジーが発達すれば、きっと車椅子のまま座席まで行けるようになるんだろうけど、まだそこの域には達していない。となると、人手に頼るしか無い。わざわざ事前連絡が欲しいと言っているということは、人を準備する必要があるからではないか。
そこまで察するのは難しいのだろうか。そこまで察してもらうことを要求するのは、差別なのだろうか。
障害者がこれまで苦労してきたこ歴史はあるのだろう。電車に乗る時、タクシーに乗る時、バスに乗る時などなど、様々な場で我慢をしてきたのだろう。
しかし、健常者はどこまで障害者に歩み寄らなければならないのだろうか。際限無く健常者からのみ、歩み寄ることが「相互に尊重する社会」の実現につながるのだろうか。
今回の問題は
車椅子の人「事前連絡をしていなくてすみませんでした。これからは事前連絡します。でも、事前連絡が無くても対応できる体制が整っていると、とても助かります。ぜひ検討して下さい。」
航空会社の人「こちらも臨機応変に対応できる体制が整っておらず、すみませんでした。改善策を講じます。」
で良いんじゃないかと思う。実際、航空会社の側は対応する予定があったみたいだし…