元ITインフラ系エンジニアの日記

元ITインフラ系エンジニアがITのことや投資のこと、コンサルのこと等を綴ります。

時流を読むことと本質的価値

 2020年のオリンピック後、株価は下がると見ている人がいる。実際に下がるかはわからないが、下がると仮定した場合、株式市場にあったお金はどこにいくのだろうか。ゴールドか、債券か、不動産か、それとも仮想通貨といった新しい市場か。国内か海外かで言えば、どうだろうか。

 

ここ数日、『投資で一番大切な20の教え』(ハワード・マークス著、貫井佳子訳)を読み返している。この本の中では「本質的価値」という言葉が幾度も出てくる。リスクコントロールには本質的価値を正しく分析することが重要である、とか、本質的価値の評価が低い銘柄を買うべし、といった文脈で繰り返し述べられている。

 本質的価値とは会社の稼ぐ力である。稼ぐ力とは、「売上高」「営業CF」といった実績のみならず、「将来性」という不確定なものも含まれる。

 

 売上高、営業CFといった過去の指標は有価証券報告書を見ればわかる。問題は「将来性」、未来だ。未来がどうなるか、誰にもわからない。誰にもわからないが、予想することは出来る。未来の予想について、ハワードマークスはこのように書いている。

第一に、予測は一般的に当たるものなのだろうか。答えは明らかにノーだ。(中略)

第二に、予測に価値はあるのだろうか。予測が最も役立つのは、変化を正しく見込んでいた場合である。(中略)要するに、予測場の変化と実際の変化の間に、あまり相関性はないのだ。

第三に、予測の根拠は何か。大半の予測は既知の出来事を当てはめることによって行われる。

第四に、予測家が正しかったことはあるのか、答えはまちがいなくイエスである。

第五に、予測家の予測が的中する(それも驚異的な精度で)場合があるにもかかわらず、なぜ私は予測について否定的なままなのか。予測は一回だけ当たればよいわけではないからだ。重要なのは、継続的に当たる予測をすることである。

p207-208

 

 世の中に予測家は数多くいる。雑誌に載るような著名なアナリスト、あるいは雑誌そのもの、あるいはTwitterFacebook、ブログで予測する者もいる。世の中に発信せずとも、頭の中や紙に記している者もいるだろう。私もその一人だ。投資家において、予測しない者がいるだろうか。

 

 予測において重要なことは、「確信する」ことではなく、妥当性であり、その予測が実現する可能性がどの程度あるかという点である。雑誌やTwitter、ブログで見る予測のほとんどは、ある一つの出来事を予測するに終わっている。また、それが起きる可能性については高いか低いかは明言せず、文脈から、筆者が高いと考えているむきを察するのみである。

 

 マクロ経済の未来を予測することは簡単だ。しかし、それを信じたり、「知っている」と称するのは危険だ。予測は予測であり、未来は未確定だ。予測に頼るのではなく、備えることが大切だ。つまりはリスクコントロールだ。