元ITインフラ系エンジニアの日記

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生活保護とパチンコ

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ダイヤモンドオンラインに生活保護に関する連載がある。先日、以下の記事を読んだ。

diamond.jp

読んでいて、非常にもやっとしたのでその理由について考えた。

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もやっとしたの部分を引用し、それぞれに私の考えを記した。

「中間層の中でも、比較的安定した職業と家庭を持っている人たちからのバッシングは、逆に増えてきたように思います。『自分は自力で持ちこたえられる』と思っている人の、『自力でやっていけない“ダメな人”たちは、これ以上自分たちから“搾取”しようとするな!』という叩きです」(さいき氏)  では、「生活保護でパチンコ」は、本当に羨むべき状況なのだろうか?

文中を一見しただけでは、「誰が」生活保護でパチンコを羨んでいるのか、わからなかった。全体の流れから忖度すると、「自力で生活している中間層が生活保護で甘やかされている受給者を羨んでいる」ということだろうか。文中に主語が無いため、確たる事は言えない。少なくとも、私と私の半径5mの世界では、生活保護受給者を羨ましく思っている人間はいない。そのため私はこの文を読んで、もやっとした。

生活保護費をパチンコに使う』は、悲しい話なんです。一人で出来るパチンコしか選べず、さらに生活も圧迫される。『生活保護費でパチンコ、楽しい生活だね』と思うのは、背景を無視した短絡的な想像にすぎません」(さいき氏) 生活保護受給者が贅沢をしていると中間層が思っているが、贅沢に見えることは受給者の生きるモチベーションになっている。中間層が「贅沢だ」と非難する対象には遊行費だけじゃなくて、つつましいものだってあるのだ。

私はさいき氏のように「パチンコ、楽しい生活だね」なんて思っていない。むしろ哀れんでいる。「パチンコしか楽しみがなく、その楽しみのせいで惨めな生活をしてるんだね」といった具合だ。パチンコはどうでも良い。受給したお金をどう使おうが自由だ。生活保護費に制限は無い。合法的な範囲内で自由に使えば良い(パチンコはグレーであるが、それでも違法ではないので合法だ)。私は「働ける人は働けよ」と思うだけだ。
生活保護受給者が金魚を飼おうが、図書館で本を借りようが、花を家に飾ろうがかまわない。ただ、国民の義務を果たさずに権利だけを行使している姿が癪に障るのだ。もちろん、病気や障害によって働く事ができない人は仕方が無い。

 最初に生存権がある。生きているから、教育を受ける権利を行使できる。教育を受けて、社会に接続されれば、勤労の権利を行使することができ、同時に勤労の義務を果たすことができる。そして納税の義務を果たすことができる。日本国憲法の第25条以後を順序どおりに素直に読むと、「生存権」から「納税の義務」までの長い長い道のりを自然にたどることになる。

だからこそ、「パチンコなんて行ってないで働け!」と言いたい。生存権があり、教育を受け、勤労の権利を行使し、その義務を果たし、納税の義務を果たすべきであるのに、生存権だけをのうのうと行使しているように見えるのだ。繰り返しになるが、生活保護受給者がパチンコに行っても良い、花を買っても良い、金魚だろうが犬だろうが飼いたいなら飼えば良い。ただ、働くなりなんなりして税金を納めろ。

納税の義務に至ることのできない“ハンディキャップ”を考慮しないと、生活保護に関して、意味のある議論はできないと思います。その“ハンディキャップ”という背景を理解し、共有したいと、ずっと思っていましたし、今も思っています。私も、まだまだ背景を充分に理解できていないと思っていますから、もっと共有して、もっと納得したい。

そのハンディキャップってなんなのだろうか。今回の記事では触れられていない。病気の事だろうか?病気を持っていても、障害を持っていても働いている人はたくさんいる。働いている人と働けない人の差はなんなのだろうか?背景を理解し、共有したいと思っていると書いてあるが、本当にそういう気持ちがあるのだろうか疑わしい。具体的に示して欲しい。もやっとするなぁ。

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生活保護を受給する事は間違いなく恥ずかしい事である。恥ずかしい事であるが、権利として有しているのだから、行使しても問題ない。ただ世間様に感謝し、一日も早く自立するぞ、という気概をもっていてほしい。私が生活保護受給者に思う事はそれだけだ。そういう気概があればパチンコだろうが、金魚だろうが自由にしたらよろしい。