今、『応仁の乱』(呉座勇一著)を読んでいる。
応仁の乱の”入口”と”出口”だけでなく”中味”の検証は欠かせない。その際、没落する貴族階級は不平不満を並べ立て、勃興する一般市民は乱世を歓迎した、といったステレオタイプの歴史増に陥ってはならない。かといって「何年何月何日、どこそこで合戦があり、誰それが勝利した」といった事実関係を淡々と書き連ねるだけでは意味がない。戦乱の渦に巻き込まれた人々の生態をそのまますくい取ることが肝要である。
「はじめに」vii頁
まだ第一章しか読んでいないが、大和国の覇権争い(旧南朝方勢力、興福寺等の寺社勢力、坊人(寺に属する武士))の争いを追っていくと、まさに「仁義無き戦い」の世界だ。
複雑な主従・姻戚・地縁の関係に、それぞれの思惑が絡まりカオスである。地図とそれぞれの相関図を用意しないと、混乱するばかりである。
ふと、ヨーロッパの100年戦争、第一次世界大戦もこんな感じでカオスだったと思った。そういえば、今のシリア問題、北朝鮮の問題も似たようなものだ。
つらつらと考えていると、Falloutの台詞が頭を過る。
人は過ちを繰り返す。
War... War never changes...